「それじゃ私行ってくるね、明日の夜にはちゃんと戻るから。」


前々からの約束とは言え、いざ離れ離れになると少々不安になるものだ。
一国のトップとして、命の危険が常に纏わりついているマシロ王女から一日でも離れるのは確かに危ない。もしオトメがその日だけ居ないという事実が外部に漏れていたらマシロ王女を狙う者達にとっては絶好の機会だと思うだろう。
うーん……心配だなぁ……でもでも、ニナちゃんとエルスちゃんと一日皆で過ごせるなんて滅多にできないし……それに、また『ミユさん』に頼んで置いたから大丈夫だよね!


「そなたはオトメじゃろ! マスターの妾から離れるなぞ!」


もっともな事を言う、というかあたしもそれが理由でなかなかニナちゃんとエルスちゃんに会いに行けなかったし。
この間もせっかく事が終わってニナちゃんとエルスちゃんとで遊び明かすつもりだったのに、わざわざ人の家にまで来てマシロちゃんとミユさんが喧嘩はじめちゃうし。
……それでも、やっぱり行きたい! 今回は喧嘩しないってミユさんも約束してくれたし、ミユさんなら私よりずっと強いし大丈夫だよね? うん!


「別にいーじゃん、一日くらい。明日の夜には帰って来るからさ。代理も呼んどいたからそれじゃ!」


こうしてアリカは小さな赤いリュックを背負って大きな城の裏側から走り去っていった。
マシロは王室の窓からアリカが走り去っていく様を口を開けたままの姿で呆けていながらも眺めていた。







ここで期待してはいけない。此処から3人の少女達の華やかで可憐な話になるわけでもないのだ。
代理で来る人が誰かは知らされていないマシロも妙な期待はしてはいけない。

呆けたままの顔で立っていると、ふと後から声が掛かる。


「女王がそんな顔をしてはいけません、馬鹿に見えます。」

「ば、馬鹿とはなんじゃ!? ……そなたは!!!」


期待する時間もなく声の主へ振り返ると、突如表れた天敵の登場にマシロの顔は呆けていたさっきとは打って変わって敵意剥き出しの表情に変えた。
不快な表情を向けられた赤い瞳の女性はしれっとし、眉一つ動かさなかった。
ほんの5分程度の時間だったが、その間沈黙し、静止しているとかなり長く感じるはずだ。しびれを切らしたのはマシロのほうだった。


「またおぬしか……。せいぜい妾のアリカの代わりになるよう働くが良いぞ。」


「妾のアリカ」の部分を強調しながら言うと、さすがのミユも眉をほんの少しと上下に動かし「貴女のオトメであり、貴女のアリカというわけではないです。」と口を動かすと羽織っているマントと被っている帽子を今までずっとミユの隣に居たがまったくついていけずに置いてけぼりを喰らったアオイに渡し、マシロを椅子に座らすと側近として横に立ち止まった。
マシロは何か納得のいかないような不機嫌な顔でミユを睨んだ後、目の前でニコニコ笑っているアオイに目で訴えかけた……が自分を凝視する女王が何を訴えているのかミユとマシロの関係などまるで知らないアオイはにこやかな表情を崩さずに首を傾げるだけだった。


「えーと……これが今日の分です。」


アオイはマシロの訴えを勘違いしたのか、忘れていたことを思い出したのか、掌をポンと叩くとどこから取り出したのか山のように詰まれた書類をデスクの上にボンと置いた。
マシロは書類の山を見て顔を真っ青にすると、アオイはにっこりと笑いその場を去っていった。


「早く始めなければ、今日中に片付きませんよ。」


硬直していたマシロに向かってボソリとミユは言った。


「わ、わかっておる。今始めようとしていたところじゃ!」


渋い表情をしながらも、ミユに云われるがまま書類を片付け始めた。









一枚の紙に目を通して判子を押す。一連の流れを言えば簡単な作業だが、これが何百枚もあるとかなりの忍耐力が必要だ。
黙々と作業を繰り返すマシロを何もせずジッと見つめるミユ。
妙に威圧感のある視線を感じながらもマシロはしこしこと仕事に励んだ。

一枚の捲られた紙を見るとマシロは深く溜息をついて罰点を大きく書いた。


「またナオか……しつこい奴ぞ。 どうせアリカのことじゃ、これでいいじゃろ。」


アリカの部分に片眉を微々上下に揺らすとミユは強烈な、それは蛇をも動けなくなるような鋭い目つきをほんのり和らげた。


「ナオさんというと、5柱のナオさんですか?」

「うむ、アリカは頭はポンコツじゃが、実力は相当……簡単言えば5柱は面倒だから代わってくれといったところだの。」

「そうですか。」


ミユが質問をしてきたのでそれに対して詳細を述べたのいも関わらず、無関心そうに返事をするミユに不機嫌な顔をぶつけつつもマシロは作業を続けた。


―――時計の二つの針が天辺を指した。

沈黙の中、黙々と単純作業を繰り返すマシロ女王の横でピクリとも動きもせず視線も前からそらすことなく棒立ち状態のまるで人形のように見える。


「マシロ女王、もうそろそろお昼の時間ですが。」


その人形が時計の針が頂点を指した瞬間、口を動かした。
紙の擦れる音、判子を押す音やペンで書く音が繰り返し繰り返ししていたが、マシロにとってはそれはもう聞こえない程飽きた音だった。
そんな無音の中、いきなりのミユの掛け声にマシロはほんの少し身体を揺らし判子の押す音が微妙にずれた。それでもマシロは気を取り直して作業を繰り返しながらミユに応えた。


「ふむ。 妾は今日、一日二食ゆえ朝夕しか飯はないのじゃ。」


思っても見なかった言葉に表情を微妙に変化させるが、それも一瞬ですぐにいつものしれっとした表情に戻り何事も無かったかのように沈黙した。
その表情の変化を横目で見ていたマシロは再び口を動かし始めた。


「貧民街復興のための募金が上手く収拾できなくてな、思ったより国費が削れておるのじゃ。それで少しでも節約を、と王宮で働いておる事務的な仕事をしてる者は一日二食にしておるのじゃ。」


ミユはなんの素振りも見せなかったが、マシロが左右にずらしていた瞳を落とすと正面を向いていた視線がマシロの横顔へ移動していた。









「ふーぅ、終わったぞ!」


なんとか夕餉前にすべてを書類を片付けたマシロは椅子の上で手と足を真っ直ぐ伸ばして筋肉をほぐした。
そして一息つくと、デスクの隅に置いてある鈴をリンリンと鳴らす。いままでの鬱憤を晴らすかのごとく鳴らす、とにかく鳴らす。鳴らしまくる。


「そんなに鳴らさなくてもわかりますよ、マシロ様。」


苦笑の表情をしながらカートを押して入ってくるアオイは終わった書類をカートに乗せてミユに得意の笑顔で会釈してから部屋を出て行った。
会釈を返すミユの無表情な顔をマシロは見つめると細目で溜息を吐いた。、

ほんの少し沈黙が続くと、今度は呼び鈴を鳴らさなくてもアオイがカートを押して入ってきた。
マシロの襟元にナプキンを掛けると、次々とデスクの上に夕餉を並べていく。


「ミユさんもどうぞ。」


折りたたみ式のテーブルの3本足をしっかりと固定し、マシロのデスクの横につけると次々と夕餉を並べ、ミユの襟にナプキンを掛けて壁に立てかけてある折りたたみの椅子を置いて、さらにその上にミユを乗せて出来上がり。
無駄の無いテキパキとしたその行動にミユは成すがままに椅子に座らされていた。


「それでは、ごゆっくり。」


今度は深く腰を折って最敬礼をし、最後ににっこり笑顔で出て行った。


「さて頂こうかの。」



――――――。

昼食を食べて居なかった分、普通の夕食とは思えないボリュームだが冷めないうちに全て平らげることができた。
マシロはお腹ぺこぺこという様子だっただけに平らげて当然なのだが、まさミユまでも全て平らげるとは誰も思ってなかった。
ミユも昼食を食べていなかったのでてっきり"さいぼーぐ"というものはご飯を食べないものとマシロは思っていたのだがそれは違ったようだ。


満腹感を味わった後は睡眠欲がマシロの脳内を支配し始める。
覚束無い足取りで寝室の広く大きなベッドまでたどり着くと、目は虚ろになりベッドの上に倒れこんだ。


「女王マシロ、そのままでは風邪を引きます。」

「……そんな柔ではないわぁ……。」


ふらふら歩いていたマシロに眉一つ動かさずに無表情のままくっついて歩いていたミユは、呆れた表情をして一つ息を吐くと、マシロをベッドに座らせ着替えさせた。
マシロが再び横になるとミユは傍から離れようとすると、妙な引っ張られる感覚がミユの動きを止めた。マシロの手を見るとミユの服の裾を握り締めていた。


「マシロ、離してください。」

「んー……すぅすぅ……。」


ミユの声を聞くと苦しそうな表情を一瞬見せたが、マシロはすぐに気持ち良さそうな表情に戻り寝息を立ててぐっすり眠っている。
そんなマシロに力ずくで手を離すわけにもいかず、何故か同じベッドの中で横になってしまったミユは相も変わらず無表情のまま目を開けた上体で仰向けになっていた。
……傍からみると少々気味が悪そうだ……。


「……ありかぁ……。」


マシロがミユの服の裾を掴んでいた手をミユの豊満な胸を鷲づかみにすると、そのままぎゅっと抱きついてきた。
さすがのミユもコレにはいつもの無表情で流すわけにもいかず、不快な表情をしながらも頬をほんのりと赤くなっていた。


―――翌日。


「遅いぞ! 遅い! 今日帰ると言ってたではないか!」

「今日はあと12時間近くありますが。」

「うるさい!」


真昼の12時。
今日帰ってくると言っていたアリカだが今だ姿を見せず、マシロはいらついてた。
多分今日の朝に帰ってくるものだと勝手に思い込んでいたのだろう、デスク上にある紙を一枚捲っては判子を押す音が部屋中に鳴り響く。
今にもデスクが壊れてしまいそうだ。
マシロの苛立ちにすぐさま気付いたアオイはなだめようと必死だ。


「ま、マシロ様。ご昼食などいかがですか?」

「いらん! 今日は二食じゃろう!」


アオイは「ですが……。」と言っても聞く耳持たず「いらんものはいらんのじゃ!」と怒鳴られてしまった。
顔を下げて一歩下がり顔を上げるとマシロの後ろに立っているミユの姿が見えた。
ミユは胸に手を当てて「ここは私に任せてください。」とジャスチャーで表わすと、アオイはマシロに向かってもう一度頭を下げ、ミユに「頼みます。」とジャスチャーで応えるとそのまま部屋を出て行った。

ミユはおもむろにポケットからピンクと白の縞模様がついている包装紙に包まれた小さなキャンディーを二つとりだすと、マシロの手を掴み掌に一つ乗せた。
マシロは不機嫌なまま、ミユの意図を問うた。


「舐めていれば空腹も紛れます。 アリカが帰ってくるまでゆっくり待つとしましょう。」


意外な人の意外な言葉にマシロは驚きを隠せなかった。
てっきりミユもアリカの帰りが待ち遠しかったり、自分と早く別れたい物とばかり考えていたため「ゆっくり待つとしましょう。」なんて言葉が出るとは夢にも思わなかった。
マシロが口を開けて動きが停止していると、ミユがマシロの手に載っている包装紙に包まれたキャンディーの包装紙をくるくるっと取り払い、キャンディーをつまみマシロの口の中へ放り込んだ。

キャンディーはマシロの口に入ると、その甘みでマシロの機嫌の悪さを忘れさせた。

マシロは王の業務に戻り、判子の音と紙の擦れる音が部屋に響く中、キャンディーの舐める音もコロコロと聞こえた。









「ただいまぁ!」


夕日が沈みかけ、外はオレンジ一色の時刻。
夕日の光がマシロの眠気を誘う。
デスクの上にある紙も随分減り、あとは数える程度の枚数しかない。
そんな静かな時の中、とてつもない勢いで扉が開くと、それと同時に眠たそうにしていたマシロが飛び跳ねるぐらいの大きな声で「ただいま」という声が部屋に響いた。

マシロを眠気を堪えて細くしていた目を力を込めて見開くと立ち上がった。


「アリカ! 遅いぞ!」


アリカは両手を広げて満面の笑顔で駆け寄ってきた。
マシロはデスクの前に立ち、小さな両手をめい一杯広げてアリカを受け止め……たと思いきや、アリカはマシロを素通りしてミユに飛びついた。

ミユは難なくアリカを受け止めて、ゆっくりとアリカの足を地面に降ろした。


「ミユさんありがとねー。」

「アリカの頼みですから。」


何故か手を握り合いながら話をするミユとアリカの横で、先ほどスルーされたマシロは何かに堪えるように体を震わせていた。


「アリ……カ?」

「マシロちゃんもただいま!」


怖ろしい表情をしていたマシロだったが、なんの躊躇いも無く抱きついて喜びを表現するアリカにマシロは笑顔に戻っていった。
いつもならここらでミユも何かしら表情を変えるのだが今回はしれっとした表情のままで妙な違和感がアリカの脳みその中に入り込んだ。


「んー、もしかして二人とも仲良くなった?」

「「無い(わorです)!」」


「だれがこんな奴と!」とマシロはミユのほうに指を差しながら一人憤慨し、ミユは「私にはアリカだけです。」とマシロを無視しながら滅多に見せない笑顔でアリカに返事をした。
それがさらにマシロを怒らせて、このまま口論へと発展していく。

激化する口論の最中、アリカは満面の笑みを浮かべていた。





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